2015年10月7日水曜日

なめらかな社会とその敵




本書は難解である。僕にはなじみのない経済学や貨幣システムが出てきたかと思えば、難解な数式である。これはもうお手上げかと思うのが、その文体が本書を一気に読ませることを可能にする。著者のメタメッセージが僕を離さないほどに魅力ある文体だ。同じような経験は浅田彰の「構造と力」を読んだ時と似ている。書いてあることのほとんどは理解できないのだけれど、その文体が読むことをやめさせない。そういえば出版社も同じ勁草書房だ。

本書の構想を本気で理解するにはさらなる精読が必要であろうし、バックグラウンドとなる知識も幅広く学ばなければならないと痛感させられる。しかし本書の第一部だけも繰り返し読むことで、全体の構想がおぼろげに見えてくるだろう。以降は具体的な社会への応用を数式から基礎づけ、構想を具現化するプロセスである。

この世界は2極化している。医療においても2元論はそこここに積もっている。良い、悪い、効果あり、効果なし、有効、無効。医療とは曖昧なものである。本来曖昧なものをあいまいなまま受け入れることにこそ医療の本性がある。95%信頼区間が示す曖昧性よりも具体的なビジュアルで迫ってくるのが本書で挙げられているシグモイド曲線である。

疾患名によるカテゴライズが、身体的不条理、あるいは異常な健康状態という囲いを作る。そして医療概念はその囲いをあたかもコントロールするかのよう、知識の中央集権化をはかり、身体的不条理、異常な健康状態を制御しようとする。適切性という考え方そのものが、何かを制御できるという信憑にとらわれている。

分類という仕方は、世の中をより単純にしていく。そしてあらゆる現象を制御可能にするという信憑を人に植えつけてゆくが、本来、制御可能と信じられている現象はおそらく複雑系そのものである可能性が高い。世の中を単純化することで、コントロールという錯覚が生まれるのだ。

疾患かそうでないのか、健康か病気か、正常か、異常か。その境界の「曖昧性」はこの社会ではあまり強調されない。60%病気で40%健康な状態というのがどういう状況なのか、僕たちは想像しづらいだろう。そう、2極化することでこの社会は動き出す。しかし、2極化された極点にある、例えば「正しい治療」というのは常に様々な価値負荷的な要素を孕んでいて、それは治療をする側も、される側も、正しさを一般化できないという側面を忘れがちだ。

健康へのベネフィット、健康へのリスク、やはり一度、両極端に思考を振り切らせた方が良い。どちらか一方というのは好ましくない。両極端に振り切れたところに、極端なシグモイド世界が見えてくる。「λ」を小さくすることで見えてくる、多元主義世界の様相を想像してみたい。