2015年1月5日月曜日

日本霊性論 (NHK出版新書 442)

内田 樹  (), 釈 徹宗 () (NHK出版新書 442)



このブログでは、いわゆる“ですます調”を用いないで、淡々と文章を書いてきましたが、やはり僕にはなんとなく、“ですます調”のほうがしっくりくるんで、本年から文体を変えようかと思っています。

[霊性とは何か]
「霊性」なんて聞くと、僕は最初、なんだかオカルトのようなそんな印象を持ってしましました。霊性って何でしょうか。日本は本当に多様な宗教性に満ちた国ですが、組織的な特定の宗教というと、やや抵抗を覚えるような、そんな印象はないでしょうか。しかしながら日本人としての生活の中に宗教性は満ち溢れています。年が明ければ初詣に行きますし、クリスマスだって何かしらのイベントを期待するでしょうし。結婚式をチャペル様式、あるいは神前様式などで執り行う事でしょう。ハロウィンだってイベントがありますよね。日本の現代社会ではこのように多様な宗教性が習慣化している、宗教性がある意味で常識に登録されている世の中を僕らは生きているわけです。
 そもそも日本人古来の宗教性とは何でしょうか。日本の歴史を紐解く中で、古代史までさかのぼると大きな宗教性として仏教の存在は外せないでしょう。仏教公伝には諸説ありますが、僕は覚えやすいので538年(ごさんぱい)なんて暗記しています。時は奈良時代、以後平安、鎌倉に至るまで、仏教とはほぼ国営と言っても過言ではないくらい、国によって管理されてきたといえましょう。聖武天皇による国分寺、国分尼寺の建立などは国家的プロジェクトです。政治とも密接なかかわりを持っており、桓武天皇が平安京遷都と余儀なくされたのも奈良仏教(南都六宗)の影響は大きかったといえましょう。
 平安時代になると、真言密教は藤原氏を代表とする貴族たちや皇族の信仰を集め貴族仏教の様相を呈してきます。平安も末期になると、武士の台頭とともに、貴族の政治への力は弱まり、仏教は徐々に貴族から大衆への文化として移行するようになってきます。特に鎌倉時代に興起した浄土思想は法然、親鸞により大衆へ受け入れられ、当時の日本人の根本思想となっていったのではないかと僕は思います。このような宗教性は長い時間をかけて習慣化し、物の考え方を基本的なところで決定するための判断材料、いいかえれば倫理感や常識といった、原理にはなり得ないが人の基本的な思考プロセスの源泉になっていったのではないかと僕は思います。いわゆるメタ宗教とでも言うのでしょうか。このような宗教性こそを霊性というのではないか、と僕は感じました。

[宗教とは何か]
 僕は無宗教であるというのはなかなかこの現代日本においては難しい言明のように思います。僕自身は特定の宗教教団に所属していませんが、例えば日曜日は休むものだと思っていますし、食べる前にいただきますといいます。もともと日曜日というのはキリスト教の安息日ですし、食べ物を頂くという事に感謝の気持ちもあります。もちろんこれを「習慣」という事もできますが、宗教性にはもともと教義のほかに儀礼もありますから、これを習慣や思想、あるいは哲学と厳密に線引きするという事はなかなか困難に思います。本当に無宗教であればそれは原始人以下の動物ではないかとすら思うのです。古代の人間も死者を敬い、死者とともに暮らしてきました。そういう観点からすれば、現実に存在しない何かに対して畏れや敬いを意識しながら生活している宗教性と言えるのではないでしょうか。

[宗教性が必要な局面とは]
以前、どこかに書いた気もしますが、僕はお寺や神社を歩くのが大好きなんです。もともと日本史が好きだという事もありますが、歴史的なものや建築に興味があるだけじゃなくて、やはり祈りの姿勢というか、畏れの感覚というか、“恐る恐るというような振る舞い”、そういったものの感度を高めることができればな、と思うのです。
自分がいかに無力な存在であるか、改めて自分に言い聞かせることで、自身の能力を超えてこちらに向かってくるものに対して、その備えを最大限までに引き揚げ、何とかやり過ごすことができるよう、その感度のセンサーを極限まで高めたいと思うのです。

3.11では福島第一原発が津波に飲み込まれ、全電源が喪失しました。海沿いに建てられた施設。非常電源。津波の想定。原子力はそもそも人がコントロールできるものなのか。人知を超えた何かのトラブルが発生したときに何をなせばよいのか、その畏れの感度をもう少し高めることができなかったのだろうか。宗教性が必要な局面とはこういったことではなかったのか。そんなふうに感じます。


「目に見えない何かをおそれ敬うこころ」を常々意識したいと思います。

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